私なりのKAT-TUNの歴史①

こんにちは。

しずくんと申します。


ハイフン(KAT-TUNファン)8~9年目。

しかしこのアカウントの友達にハイフンはほぼ皆無。

そこで、だ。

皆さまにKAT-TUNの素晴らしさを知ってほしいと思ったのだ!!!

くっそ長いから続く可能性大だ!


そんじゃいくぜ!(誰)



まずKAT-TUNとは。

ジャニーズの6人組グループ。

漫画(cartoon)のように先が楽しみなグループ、「勝運(かつうん)」が語源。

カタカナ表記だとカトゥーンだからね?

決して。けっっっして。カツーンとかじゃないからね?

あと有名な話だけどメンバーのイニシャルからとっている(Kamenashi,Akanishi,Taguchi,Tanaka,Ueda,Nakamaru)。

覚えづらい人は「Peacefuldays」って曲を聞こう!

セカンドアルバム「cartoonKAT-TUN Ⅱ You」ってのに入ってます。

K!A!T!T!U!N!せーの!

っていう、ひたすら彼らのイニシャルをコールする曲です。

コンサートのてっぱん。

1曲本気で盛り上がると3kgくらい痩せたんじゃね?ってくらい疲れます。

あ、余談だけTTは田口→田中の順です。

出席番号順って覚えるとわかりやすいよ!

そんでもってTとTの間のハイフンね。これがファンのことらしいよ。

っていうのもさ、まぁ後付けで決まったんだよね笑

てかファンがメンバーを繋ぐって...どんなだよ!繋がっててくれよ!笑

まぁうんあの...今はK    -  UNだからほら...繋がってないわけで笑


いやそういう切ない自嘲トークはいいのよ。

本題入るよ!


2001年3月末or4月はじめに結成(公式も不明)。

メンバーは6人。

15歳の亀梨和也田口淳之介田中聖

16歳の赤西仁

17歳の上田竜也、中丸雄一


入所順で言うと

田中→上田→亀梨&赤西&中丸→田口

田中と田口で約1年弱の差があった。


「たかが1年かよ〜」


こちら、当時の田中に言ってはいけない言葉ランキングぶっちぎりの1位。

田中は、後輩ばかりと組まされたことが納得できず、グループに嫌気が差していた。


というか、ただでさえこんな我が強い性格の反抗期真っ盛りなDK6人も集めて平和にいくと思ったのは誰だ?ジャニーさんか?だとしたら申し訳ないが言わせてくれ。お前は相当アホだ。


当然の話だが6人の中は最悪。

1日13公演なんていうハードにも程があるブラック企業も白旗をあげるレベルのスケジュールに、メンバーは心身共に疲弊していた。

6人で6畳しかなかった楽屋の雰囲気はピリピリしつづけ、喧嘩も耐えなかった。

中でも有名なのは生クリーム事件とたっち大喧嘩事件。

まぁこれはいつか書くさ。


喧嘩っ早い亀梨赤西田中上田の悪ガキ4人。

なんでメンバーの2/3もそんななんだよすげぇな!

いやすごいのは残り1/3。

田口淳之介と中丸雄一。

田口は自分が1番後輩という自負もあってか、誰にもけんか腰にならず、いつもニコニコしていた。

一方の中丸は最年長としての自覚を持ちメンバー間のぎくしゃくをなんとか無くそうと努めた。

なぁ?中丸すごそうだろ?

実はこいつ当時めちゃくちゃ遅刻魔だったからな!

あの赤西にさえ「中丸おせぇ」とか言われるやつだったからな!


めちゃくちゃ大変なスケジュールでも、たとえ田中が「こんな後輩どもと!」とキレようと、中丸が寝坊で来なかろうと。

彼らはデビューを目指し頑張っていた。


しかし結成から数年。自分たちより後に結成された関ジャニ∞やNEWSがデビューしていくのを見ていた彼らの間には、ある思いが芽生え始める。


「デビューしてるのとしてないの差ってなんだ?」


当時のKAT-TUNには、Jrとしては異例の単独コンサートや数え切れないほどのオリジナル曲があり、ここまでしてもデビューできないのはなぜだ?という疑問が渦巻いていた。

そこで行動に出たのが亀梨、赤西、中丸。

なんと3人でジャニーさんの家に直接押しかけるという行動に出る。

ジャニーさんからの返事は、「目の前にあることをやっていればいい」。

その言葉を信じ、6人は再びその歩みを進め始めた。



さぁ!

どうでしょうKAT-TUNの歴史結成~デビュー前編!


長い?笑

いやこれ序の口よ...

長いのはここから笑


ではまた、今度はデビュー前~1人目の脱退編(予定)です!