私なりのKAT-TUNの歴史②


続きです。


デビューを目指しがむしゃらに頑張ってきたKAT-TUN

その波に乗るように、2005年1月、亀梨と赤西がドラマ「ごくせん2」に出演が決定。

不良クラス3-Dトップのやんちゃな矢吹隼人(赤西)と、不登校だったが徐々にクラスに溶け込むクールキャラの小田切竜(亀梨)。いや視聴者のニーズわかりすぎかよ。

最高視聴率27.1%という驚異の数字を叩きだし、いよいよその名を全国に知らしめる。もうほんと隼人と竜かっこよすぎて、今でもYouTubeで見始めると吐きそうなほど悶える。イケメンが過ぎる。どこにいんだよあんな高校生(いない)。


しかし、デビューももう目の前かと思われた彼らに、衝撃の事件が起きる。


2005年11月にスタートしたドラマ「野ブタ。をプロデュース」に山下智久とW主演を張ることになった亀梨。

なんとそのドラマ主題歌で、彼らはユニットでデビューすることになる。

とっくにNEWSとしてCDデビューを終えていた山下とは違い、まだ亀梨はデビュー前。

そう、彼はメンバーより一足先に「デビュー」を知ってしまうことになった。

いくら事務所の決定とはいえ、長年6人で追い続けた夢を、自分だけ先に味わってもいいのだろうか?

亀梨はもちろん、メンバーの心にも不穏な空気が流れる。

亀梨だけデビューする、亀梨だけ目立つ。

NEWSと共にやっていた舞台では、彼だけ楽屋が話されることもあった。

最年少であるにも関わらず重くプレッシャーがのしかかる。

しかし亀梨はこれをグループを有名にするチャンスと捉え、覚悟して修二と彰としてデビュー。「青春アミーゴ」は無事にミリオンヒットを達成する。よかったねかめにゃん...。ちなみにこの時亀梨くんの体重は40kg台だったんだよ...おつかれさま...


そして来たる2006年。

3月22日。

上田と中丸は22歳。赤西は21歳。田口と田中と亀梨は20歳になっていた。

結成から5年の時を経て、KAT-TUNはCDデビューを果たす。

ワイルド&セクシーなど、当時のアイドルのイメージを覆す彼らは人気絶頂。いやこのコンセプト考えたの誰よ?天才?

デビュー曲「Real Face」はスガシカオ作詞、B'zの松本孝弘作曲ということもあり、大きな話題を呼ぶ。

そして彼らは、デビュー曲がミリオンヒットという異例の快挙を達成するのであった。


華々しいデビュー、同日発売したアルバムを引っさげてのデビューコンサート。

長年の夢を手に入れ、コンサート最終日には思わず涙するメンバーもいた。

順風満帆に見えた彼らだが、半年後にあの1人目が、最初にグループ活動を休止する。


赤西仁

自由奔放な性格の彼が、まだデビューして半年しか経たない時に留学を発表する。

その間、5人は小田和正作曲の「僕らの街で」やアルバム「cartoon KAT-TUN Ⅱ You」をリリースし、コンサートを決行。

そのコンサートの途中、赤西がロサンゼルスから帰国。KAT-TUNは再び6人に戻った。この時の亀梨くんの笑顔ときたら...!もう仁亀永遠なれですよ...!


しかし、元々グループという形にこだわりがなく「KAT-TUNのA」ではなく「赤西仁」であると言っていた赤西は、単独コンサートを開催。

同時期に他の5人もKAT-TUNとしてコンサート開催を決定し、そのまま2010年、赤西はグループを去った。でも正直私はいまの赤西くんとだいぶありだと思ってる...



待ってまだ5人もいる...

これめっちゃ長いな...笑